

11月末、ドナルド・トランプ大統領(当時)が米軍兵士に向けて行った演説のなかで、すでに生産を終えているにも関わらず、戦略ステルス爆撃機B-2「スピリット」の追加購入を承認したと発言し、世界の軍事・防衛産業界に大きな衝撃が走った。B-2は、冷戦末期に開発され、現在も世界で唯一米国のみが運用する「世界一で最も高価な航空機」として知られている。現在、運用されているのはわずか19機。新造機の生産ラインは20年以上も前に閉鎖されており、このトランプ氏の発言が文字通り「生産ラインの再開」を意味するのかどうか、軍事関係者や専門家の間で議論が巻き起こっている。
「追加購入」発言の背景にあるB-2の戦略的価値
トランプ氏の発言が注目される背景には、B-2の持つ比類なき戦略的価値がある。B-2は、1980年代の極秘計画であるATB(Advanced Technology Bomber)計画の成果として誕生した戦略爆撃機であり、その最大の特徴は、徹底的なステルス性を追求した全翼機(フライング・ウィング)の形状にある。核兵器から最新の精密誘導兵器まで幅広く搭載可能で、敵の高度な防空網を回避しながら、地球上のあらゆる地点へ長距離攻撃を仕掛けることを可能にする、米国の「核の三本柱(トライアド)」の一角を担う。
特に、トランプ政権下の今年6月、米国がイラン核施設への空爆を実施したとされる「ミッドナイトハンマー作戦」においてB-2が投入されたことは、その戦略的有用性を再認識させた。トランプ氏は作戦成功後、「完全に“見えなかった”」「信じられない成果を上げた」とB-2を称賛。その直後の「多数のB-2を追加購入した」という発言は、単なる政治的レトリックではなく、作戦の成功に自信を得た上での具体的な調達政策の可能性を指摘されるに至った。
B-2の再生産は現実的ではない
しかし、軍事アナリストや航空産業関係者の多くは、この「追加購入」がB-2の新造機発注を意味する可能性は極めて低いと見ている。その背景には、B-2という特殊な航空機を再生産するうえでの、乗り越えがたい技術的・産業的な障壁、さらには、すでに次世代ステルス爆撃機B-21「レイダー」が量産フェーズに入っているという現実がある。
実際にB-2をゼロから“再生産”することは、事実上、新型爆撃機を開発するのと同等か、それ以上の労力とコストを必要とする。専門家が指摘する主な障壁は以下の三点だ。
1. 製造に必要な金型・治具が消滅
B-2の特徴である巨大な複合材製の翼は、特殊な大型金型と治具を用いて製造されていた。これらは2000年代初頭の生産終了後に破棄されたとされている。当時の製造工程は極めて高い機密性が保たれていたため、金型、冶具、さらには専用素材の多くが保管されておらず、再生産するには設計段階から新規で製造システムを再構築する必要がある。
2. サプライチェーンの完全な崩壊
B-2の開発・製造には、100社以上の企業が関与する巨大なサプライチェーンが構築されていた。しかし、生産終了から長い年月が経ち、関連企業の多くは既に事業から撤退・解散しており、現存するのは極めてわずかな部品の製造能力のみとされている。当時と同じ精度と品質で工程を再構築することは、事実上不可能に近い。
3. 技術者の「喪失」という問題
B-2の製造を支えた熟練技術者やエンジニアの多くは既に引退しており、その特殊な技能と知識を持つ人材はほぼ残されていない。新規に技術者を育成し、生産ラインを立ち上げるには、最低でも10年以上の期間を要すると推定されている。
非現実的なコスト
これらの障壁に加え、B-2の再生産には膨大なコストがかかる。B-2は、研究開発費を含め当時の価格で1機あたり20億ドル前後と、「世界で最も高価な航空機」としてギネス記録に載るほどだった。しかし、生産ラインの再構築や特殊素材の再開発を必要とする再生産の場合、原材料のコストや人件費の高騰も相まって、そのコストは1機あたり倍以上にまで高騰するとの試算もある。これは、後継機であるB-21レイダーの推定コスト(1機あたり7億〜8億ドル)の数倍にあたり、国防予算という観点からも、B-2の新造は極めて非現実的と言わざるを得ない。こうした技術的、コスト的な現実を踏まえ、軍事専門家の多くは、トランプ氏の発言は、政治的な誇張を含むレトリックであり、文字通りの「新造機の追加発注」ではないと分析している。
米空軍は、B-2の後継機B-21レイダーの開発をすでに進めており、2030年代の運用開始を目指している。将来的に米軍の戦略爆撃機部隊はB-21と、改修を重ねた旧式のB-52の2機種体制に移行し、B-2は順次退役していく計画だ。しかし、B-21の配備が軌道に乗るまでの移行期を安全に乗り切るため、米空軍は既存のB-2を2030年代初頭まで運用する意向を示している。そのため、電子戦システムの刷新、ステルス外皮の大規模修繕、長距離巡航ミサイル(JASSM-ERや新型核巡航ミサイルLRSO)との統合など、現行機の大規模な近代化プログラム(アップグレード)が進行中だ。トランプ氏の言う「注文」とは、この既存機に対する「延命・改修パッケージ」の予算拡大、あるいは退役予定の機体をさらに運用し続けることを示唆したものと推測するのが最も現実的である。
米空軍は「B-2からB-21へ」という明確な移行政策を維持する方針だが、国際情勢の緊迫化、特に中国、イラン、北朝鮮といった潜在的な敵対国に対する抑止力強化の必要性を背景に、ステルス爆撃機への需要は高まる一方である。このため、空軍は既存のB-2の強化とB-21の量産を同時に進める可能性も残されている。特に、中東やインド太平洋地域における戦略爆撃機の存在感を高めたいホワイトハウスの政治的意向が、B-2の延命論を後押ししているとの観測もある。
現時点において、米国政府や国防総省から、B-2の新造生産再開を具体的に示す兆候は一切確認されていない。トランプ大統領の発言は、イラン攻撃での成功によってB-2の戦略的価値が再認識されたという、国内および国際社会に向けた強い政治的メッセージとして受け止められるべきであり、実際の具体的な調達政策を示したものとは見なし難い。しかし、世界で唯一無二の「ステルス爆撃機」であるB-2に対する戦略的な需要は依然として高く、米国の戦略爆撃態勢が今後どのように変化していくのか、各国からの関心はますます高まり続けている。
