

バングラデシュ空軍は2025年12月9日、イタリアの航空宇宙・防衛大手レオナルド(Leonardo S.p.A.)との間で、欧州共同開発の主力戦闘機であるユーロファイター・タイフーンの将来的な導入に関する覚書(MoU)を締結した。これは、バングラデシュ政府が推進する軍事近代化計画「Forces Goal 2030」における極めて重要な一歩であり、これまで戦闘機装備の大部分を中国やロシアからの輸入に依存してきた同国の防衛戦略に、大きな転換点をもたらす可能性を示唆している。
今回の覚書は、ユーロファイター・タイフーンの購入に向けた正式な交渉を開始するための初期合意文書であり、導入機数や最終的な契約額といった具体的な条件は、今後、両国間で詳細に詰められる段階にある。現地メディアの報道によれば、バングラデシュ空軍は概ね10機から16機程度のタイフーンの調達を視野に入れているとされており、これが実現すれば、同国にとって史上初の主要な西側製戦闘機(NATO標準機)の導入となる見込みだ。バングラデシュ政府が西側製戦闘機、特に高性能なユーロファイター・タイフーンに関心を寄せている背景には、複数の要因が絡み合っている。
1. 既存機材の老朽化と性能不足


バングラデシュ空軍が現在運用している戦闘機は、推定で約50機程度であり、その中心を成すのは、中国製のF-7戦闘機(MiG-21の中国版ライセンス生産・改良型)約36機と、ロシア製のMiG-29多用途戦闘機8機である。F-7は、その最初のロットが1980年代から1990年代にかけて納入された機体であり、2010年代に導入されたアップグレード版のF-7BGIも存在するものの、設計の基本が古く、性能面や機体寿命において現代の空対空戦闘や多用途任務に対応できる限界が指摘されている。MiG-29もまた1990年代の導入であり、搭載されているレーダーや火器管制システム、兵装は、最新鋭の戦闘機と比較すると見劣りする点が否めない。
2. 安全性への懸念
Bangladesh F7 jet crash: 27 dead, over 170 injured in the Bangladesh capital Dhaka. A national day of mourning has been declared as the authorities investigate the details which led to the horrific accident. pic.twitter.com/p0GQ2Xl87O
— 5Pillars (@5Pillarsuk) July 22, 2025
装備の老朽化は、単なる性能不足にとどまらず、運用上の安全性という重大な問題を引き起こしている。特に、2025年7月には、F-7戦闘機が訓練飛行中に首都ダッカの学校敷地内に墜落するという大事故が発生し、多数の死傷者を出すに至った。この悲劇的な事故は、老朽化した機材を運用し続けることのリスクを国内外に露呈させ、空軍戦力の抜本的な近代化の必要性を改めて浮き彫りにした。
3. 戦略的抑止力の向上
バングラデシュは、インドやミャンマーとの国境を抱える南アジアの戦略的要衝に位置している。近隣諸国、特にインド空軍は、ラファールやスホーイSu-30MKIといった高性能な西側・ロシア製戦闘機を導入し、その戦力を年々高度化させている。このような地域的な軍拡競争の波の中で、バングラデシュ空軍が「安価な機体」で現状維持を図るのではなく、ユーロファイター・タイフーンのような高性能機を導入することは、相対的な戦闘力と、地域の安定に寄与する抑止力の向上を目指す上で不可欠な選択肢となっている。
ユーロファイター・タイフーンを選ぶ理由


ユーロファイター・タイフーンは、イタリア、英国、ドイツ、スペインの4カ国が共同で開発・生産する「第4世代+」(4++世代)の多用途戦闘機である。その設計思想は、優れた機動性と、空対空・空対地といった多様な任務を高い水準で遂行する能力にある。最新型のタイフーンには、アクティブフェイズドアレイ(AESA)レーダー、最先端の電子戦装置、そして機動性能とアビオニクスを大幅に強化したP3Ebなどの改良パッケージが装備されており、広範囲な防衛・攻撃作戦に対応可能である。現在の市場価格は、仕様にもよるが1機あたり約1億2000万ドル前後と推定されており、これは既存のバングラデシュ空軍機とは一線を画す高価なハイエンド機材である。
タイフーンの導入検討の背後には、単なる機体性能の優位性だけでなく、以下の要素も影響していると見られる。
- 保守・整備体系の近代化: 西側製機材は、中国・ロシア製機材と比較して、サプライチェーンの透明性や、長期的な部品供給・技術サポート体制が確立している場合が多く、空軍全体の整備・保守能力の近代化に貢献する。
- パートナー国との技術協力: ユーロファイターの導入を通じて、イタリアを含む欧州各国との防衛技術協力、合同訓練の機会が増加し、空軍の練度向上につながる。
- 豊富な運用実績: 欧州各国および中東諸国で広く採用されており、実戦を含む豊富な運用実績は、バングラデシュ空軍にとって安心材料となる。
中国・ロシア依存からの脱却と多角的外交
バングラデシュは、これまで長きにわたり中国とロシアを主要な防衛装備供給国としてきたが、近年は「一国依存」のリスクを低減し、戦略的な選択肢を広げるための多角的なアプローチを模索している。実際、2025年には、中国製の高性能戦闘機J-10CEの導入計画が進められているという報道もあり、最大20機規模の中国機購入案が議論されるなど、中国製と欧州製の両方を天秤にかける動きが見られた。J-10の進展は今のところ確認されていないものの、2019年には中国製のK-8ジェット練習機の調達契約を締結しており、中国との関係は依然として維持されている。
一方、イタリアとは、今回のユーロファイター以前にも防衛関係の強化を進めてきた。バングラデシュ空軍は既にイタリア製のヘリコプターAW139やAW119KXを導入しており、2019年にはイタリア製の長距離防空レーダーSelex RAT-31DLを受領している。今回のユーロファイターの覚書は、こうしたイタリアとの防衛協力関係を戦闘機分野にまで拡大しようという明確な意図の現れと言える。
ユーロファイターの導入が実現すれば、それはバングラデシュが中国・ロシア製装備への依存を減らし、欧米やEU諸国とのより多元的な防衛パートナーシップを構築しようとする、戦略的な意思表示として国際社会に受け止められるだろう。しかしながら、ユーロファイター・タイフーン導入への道のりは決して平坦ではない。今回の覚書はあくまで交渉開始の意思表明に過ぎず、正式な契約の締結、高額な調達費用(10機で約12億ドル以上)の確保と資金調達、そして最終的な機数の決定は、今後の政治的および経済的な交渉に委ねられている。また、ユーロファイターの輸出には、開発・生産に関わるイタリアだけでなく、英国、ドイツ、スペインの全4カ国の政府の承認が必要となる。この承認プロセスにおいて、バングラデシュの国内の政治体制、人権問題への取り組み、そして中国やロシアといった従来のパートナー国との関係をどのように均衡させるかといった外交的課題が浮上する可能性がある。
バングラデシュ政府は、今回のユーロファイター導入検討を通じて、アジア南部の戦略的要衝としての地位を最大限に活用し、西側諸国と中国・ロシアの両陣営との間で、自国の国益を最大化するための微妙な「東西バランス外交」を試みていると言える。高性能機材の導入による軍事力の近代化と、防衛装備調達における戦略的柔軟性の確保は、同国の長期的な安全保障政策の中核をなすものとなる。
