

2026年1月、ロシア国内の軍事裁判所が突如、黒海艦隊の旗艦であったミサイル巡洋艦「モスクワ」の沈没原因に関する公式文書を一時的に公開し、国際的な注目を集めた。この文書は、2022年4月の沈没以来、ロシア国家機関としては初めて、「ウクライナ軍のミサイル攻撃によるものだった」と明確に記したものであった。しかし、この「公式に認定された真実」は、数時間から数日のうちに裁判所公式サイトから削除され、あたかも存在しなかったかのように扱われ、沈没は偶発的な事故によるものだという最初の公式見解に戻った。この事件は、ロシアが戦時下で維持する厳格な情報統制の実態と、モスクワ沈没という出来事が今なお持つ象徴的かつ軍事的な意味合いを改めて浮き彫りにした。
欠席裁判で露呈した沈没の事実
ロシアの独立系報道機関メディアゾナの報道によると、発端は1月22日木曜日、モスクワ西部第二管区軍事裁判所で下された判決文にあった。裁判所は、モスクワおよび別のロシア軍艦の沈没に関連したテロ行為の罪で訴追されていたウクライナ海軍旅団司令官アンドリー・シュビンに対し、欠席裁判で終身刑を言い渡した。この判決文書の中で、裁判所は沈没の経緯について踏み込み、「ウクライナ軍の対艦ミサイル攻撃2発により巡洋艦モスクワは致命的損傷を受け沈没した」と具体的に記述していたという。さらに、従来ロシア当局が徹底して公表を避けてきた人的被害についても、攻撃による爆発、火災、煙の吸入の結果、死亡20人、負傷24人、行方不明8人という具体的な数字が明示され、これには「6時間以上続いた艦の生存を維持するための努力中を含む」が明示されていた。これは、沈没直後にロシア国防省が発表した「死傷者はいない」「全員救助された」という初期公式発表、その後に兵士1人が死亡し、乗組員27人が行方不明だとし、 残りの396人は別の船で退避したとする説明と、明確に矛盾する内容である。
しかし、この事実は数日のうちに迅速に「修正」された。文書は公開直後に公式サイトから削除され、ロシア政府、国防省、司法当局のいずれからも、この削除や内容に関する公式な説明は一切行われていない。現在、裁判所の公式サイトに、この記述は存在しない。この文書が直ちに削除された最大の理由は、ロシア国家がこれまで一貫して維持してきた“公式ストーリー”との決定的な相違にある。2022年4月の沈没直後、ロシア国防省は沈没原因を「艦内で火災が発生し、弾薬が爆発した。その後の曳航中に荒天で沈没した」と発表していた。つまり、沈没は「敵の攻撃による損失」ではなく、「事故的な損失」として処理することで、軍の無能さや防空網の破綻を隠蔽し、戦時下の国内世論を維持しようと試みた。これは、軍事作戦の失敗を認めないというロシアの情報統制の基本方針に基づくものだった。
ところが、今回の軍事裁判所の文書は、その司法機関が自ら、国家が定めた公式の説明を否定するという異例の事態を引き起こした。これは「誤って公開された内部向け記述」または「統制が一時的に漏れた情報」であった可能性が高いと見られている。ロシアにおいては、戦争関連情報は厳格に管理されており、政府方針と異なる公式情報が出た場合、即座に修正・削除されるのが常である。
「モスクワ」沈没が持つ軍事的・象徴的意味
モスクワ沈没事件は、ロシアによるウクライナ全面侵攻開始からわずか7週間後の2022年4月に発生した。ウクライナ軍は、自国開発の対艦ミサイル「ネプチューン」2発を黒海のオデーサ沖で航行していたモスクワに命中させ、大規模火災を引き起こし、翌日沈没させたと発表していた。一方、ロシア側が主張し続けた「火災事故説」は、衛星画像、無線傍受、艦体損傷の状況などから、西側の軍事専門家の大半、ロシア国内の一部の軍事ブロガーによって否定され、「ミサイル命中が原因」という国際的評価が定着していた。今回の裁判所文書は、ロシア側の機関が事実上、この国際的な評価を裏付ける形となった。


「モスクワ」は、単なる一隻の艦艇ではない。首都の名を冠し、多数の対艦・対空ミサイルシステムを搭載し、艦隊全体の防空・指揮統制の中枢を担う「海上司令部」としての役割を果たしていた。その喪失は、ロシア黒海艦隊の能力に壊滅的な影響を与えた。この旗艦の喪失により、ロシア艦隊はウクライナ沿岸への接近を大幅に制限され、黒海における制海権が不安定化した。モスクワの沈没を契機に黒海艦隊の損害は増大し、その後のクリミア半島防衛体制にも影響が及んだと分析されている。実際、その後、黒海艦隊はクリミア半島から撤退を余儀なくされている。
今回の裁判所発表の即時削除は、単なる事務的なミスではなく、「国家が維持したい戦争の物語」と「実際に起きた軍事的現実」の間に存在する、深刻な衝突を示している。ロシア国内では、現在も軍の損害規模、死傷者数、戦況不利に関する情報の公開は厳しく制限されている。しかし、戦争開始から4年が経った今、モスクワ沈没の真相が公式機関によって短時間ながらも認められた事実は、ロシア海軍にとって戦争初期における最大の敗北であり、ウクライナ側にとっては象徴的な勝利であったことを改めて刻印した。この一件は、ロシアの戦時情報統制の限界、司法機関と政治権力の従属関係、そして戦争長期化によって生じる内部矛盾を象徴する出来事として記憶される。
