

米海軍は2025年12月、南シナ海で発生した航空機墜落事故に関し、水没したF/A-18Fスーパーホーネット戦闘機とMH-60Rシーホーク対潜ヘリコプターの2機を、相次いで海底から回収したと発表しました。この事故は同年10月に発生し、空母USSニミッツ(CVN-68)搭載機である両機がわずか30分の間隔で海中に没するという、極めて異例な事態でした。幸いにも乗員は全員無事に救助されましたが、機体には米海軍の作戦遂行能力に直結する高度に機密性の高い装備や技術が搭載されており、米軍は事故直後から「回収は最優先事項」として作戦を展開してきました。
この回収作業は、単なる事故処理としてではなく、地政学的な緊張が高まる南シナ海において、米中の戦略的な攻防戦の一環として位置づけられます。中国が広く領有権を主張し、影響力を行使するこの海域で、米軍が迅速な回収を断行した背景には、中国をはじめとする第三国が先に機密装備を入手し、技術情報を解析する「機密流出のリスク」を極度に警戒した判断があったとみられます。今回の件は、現代の海洋戦略において「機密保全」がいかに重要な戦略的要素となっているかを象徴的に示す出来事となりました。
事故の発生と詳細・異例の連続墜落
事故は2025年10月26日、南シナ海を航行中の原子力空母 USS Nimitz(CVN-68)上で発生しました。
| 時刻 | 機種 | 詳細 | 乗員 |
| 午後 2時45分頃 | MH-60R シーホーク | 対潜作戦を主目的とするヘリコプターが、着艦アプローチ中に何らかの異常により甲板付近から墜落。 | 乗員3名は直後に救助。 |
| 午後 3時15分頃 | F/A-18F スーパーホーネット | 第2空母航空団所属の主力戦闘攻撃機が、訓練飛行中に海面へ墜落。 | 2名の搭乗員は緊急脱出し、無事救助。 |
わずか30分の間に、空母を母艦とする2種類の主要航空機が連続して失われるという事態は、米海軍においても極めて稀なケースです。米海軍は事故の発生を受け、直ちに着手すべき事項として、事故原因の究明と並行して、海底に沈んだ機体の回収計画策定を最優先で開始しました。両機は墜落時、水深およそ120メートル前後の海底に沈んだと推定されています。
回収を急ぐ戦略的な理由
米海軍が、多大な費用と困難を伴う深海でのサルベージ(引き揚げ)作業を迅速に実行に移した背景には、主に3つの戦略的な理由が存在します。
1. 機密装備の流出防止と技術優位性の維持
F/A-18FとMH-60Rの両機は、米海軍の作戦行動の中枢を担う最新鋭の装備を搭載しています。具体的には、
- 高度な通信・暗号システム:通信波形、データリンクの特性、暗号化アルゴリズムなど、通信傍受を極度に困難にする技術。
- 電子戦(EW)装置:敵のレーダーや通信を妨害・欺瞞するためのシステムです。
- 対潜・索敵センサー:特にMH-60Rに搭載されているソナーや磁気探知機など、潜水艦を探知・追跡するための機密性の高い技術。
これらの機密情報が他国の手に渡り解析された場合、「米軍の通信・暗号システムが解読される」「電子戦に対する対抗策が練られる」「潜水艦探知能力の弱点が露呈する」など、米軍の作戦リスクは飛躍的に高まります。特にMH-60Rは、米軍だけでなく、日本の海上自衛隊を含む同盟国の対潜戦力の根幹をなす機種と同型であり、その構造や搭載ソフトウェアは極めて高い軍事機密価値を持っています。
2. 南シナ海という地政学的リスクの高い海域
墜落現場は、米軍が「航行の自由作戦(FONOP)」を定期的に実施する国際海域ですが、同時に中国が海洋権益の拡大を最も強く推し進める海域でもあります。米国は、回収作業が遅延すれば、中国が高度な探査船や無人潜水ドローン(UUV)を投入し、海底の機材を密かに収集する可能性を排除できないと判断しました。過去には、中国が海底に沈んだ米軍機材を収集したとされる事例も存在しており、米軍は「事故発生後、指定された部隊を直ちに現場に派遣した」と異例の迅速性を強調しています。
3. 米海軍の抑止力と信頼性の維持
海底深くに沈んだ機体を確実に、かつ迅速に回収することは、高度なサルベージ技術とロジスティクス能力の証明でもあります。米海軍は今回、空母打撃群の展開と連携した「サルベージ能力」を地域各国に対し積極的に示す形となりました。これは、「米軍は、いかなる海域であっても、自国の機密装備を第三国の手に渡すことなく、確実に保全・管理する能力を有する」という強力なメッセージを、同盟国および競争相手国に対して発信し、地域の抑止力と米軍の信頼性を維持する狙いがありました。
米海軍は事故から約2週間後の11月上旬より、サルベージ作戦を本格的に開始しました。この作戦は、単一の部隊によるものではなく、複数の専門部隊が連携する大規模な共同任務として実行されました。作戦には、第7艦隊の指揮下にある Task Force 73 / 75 のほか、サルベージと潜水技術の専門部隊である 海軍海中サルベージ部門(SUPSALV)、専門の潜水チーム、そして高度な海底マッピングを行う 海洋調査ドローン部隊 などが動員されました。
- 機体位置の特定と確認: まず、高性能ソナーを搭載した艦艇が海底を捜索し、両機の正確な沈没位置を特定。その後、無人潜水機(ROV)が投入され、海底の機体の損傷状況や、機密装備の状態が詳細に確認されました。
- 引き揚げ作業: ROVと潜水士が連携し、機体に損傷を与えないよう慎重に特殊な吊り上げ用ワイヤーを装着。支援艦艇に搭載されたクレーンで海底から慎重に引き揚げられました。
- 回収完了: 最終的に、12月5日までにF/A-18FとMH-60Rの両機すべての回収が完了したと発表されました。
回収された機体は、インド太平洋地域の米軍施設へと輸送され、現在は事故原因の詳細な究明、機体構造の解析、搭載機器の検査などが進められています。
今回の墜落事故と迅速な回収作戦は、年間5兆ドル規模の貿易が通過する海上交通の要衝である南シナ海における、米中の軍事・政治的競争の激化を如実に示しています。中国は、人工島の建設とミサイル網の整備を通じて南シナ海における支配圏を拡大しようとしています。一方、米国は空母打撃群を含む複数の艦隊を巡回させ、「航行の自由」を積極的に示すことで、中国による既成事実化を牽制しています。今回の事故は、まさにこの緊張状態の真っただ中で発生したものです。米海軍関係者が非公式に述べた「機体が第三国、特に中国に渡れば、米軍の作戦リスクは飛躍的に高まる」という言葉は、今回の迅速かつ大規模なサルベージが、単なる事故処理ではなく、機密保全を目的とした高度な「戦略的軍事行動」であったことを裏付けています。
今回墜落したMH-60Rシーホークは、日本の海上自衛隊も導入を進める主力対潜ヘリコプターです。この事故と回収作戦は、日本を含む同盟国にとって、「海底に沈んだ軍事機材は、放置すれば国家安全保障に直結する“戦略資産”である」という現代の海洋戦略における厳然たる現実を突きつけました。万が一、日本周辺海域で同様の事故が発生した場合、中国やロシアが直ちに情報収集行動を開始する可能性は極めて高く、米海軍の迅速な行動は、情報保全の重要性を改めて示唆する教訓となりました。
また、短期間に2機を失った事態は、米軍がインド太平洋地域で展開する作戦ペースの過密さ、それによる艦隊整備や航空機運用にかかる負荷、そして人員配置の課題など、近年指摘されてきた米海軍の構造的な問題をも浮き彫りにする側面も持っています。
今回の南シナ海での事故と回収作戦は、情報保全、技術的優位性の維持、同盟国への信頼性の確保、および地域の抑止力維持という、複数の戦略的な目的を兼ね備えた複合的な軍事作戦でした。米海軍が「いかなる海域であっても、米軍は自身の装備を確実に管理する能力を有する」と声明で強調したように、この一件は、米中の静かな攻防が続くインド太平洋地域における米軍のプレゼンスと、自国の技術的機密を絶対に守り抜くという強固な意志を、改めて世界に示した形となりました。
