

ロシア連邦保安庁(Federal Security Service of the Russian Federation:FSB)はロシア国内における犯罪対策や対テロ活動、諜報活動なを行う治安機関、アメリカでいうFBI連邦警察のような立ち位置の組織だ。そこにはFSB指揮下で武力による直接行動を行う特殊部隊「アルファ部隊(Alpha Group)」がある。
アルファ部隊とは
ロシアの特殊部隊というと”スペツナズ”を思い浮かべる人は多いと思うが、スペツナズは特殊部隊の総称になり、アメリカ軍のシールズやデルターフォースといった固有名詞ではない。つまり、FSBを始め陸海空軍にいる特殊部隊も総称してスペツナズと呼ばれ、それぞれには個別に部隊名がある。FSBに所属するスペツナズの場合はアルファ部隊(アルファグループ)と呼ばれている。このアルファ部隊は数あるスペツナズの部隊の中でもエリートが集まる部隊であり、 対テロ任務に特化した部隊だ。ロシアの政治最高指導部の管理下にあり、彼らの権限により行動する権限が与えられている。
歴史
しかし、彼らのやり方はしばし強引で犠牲や手段を厭わなかった。1982年のモスクワのアメリカ大使館を占拠事件では犯人を射殺し、1983年のアエロフロートのハイジャック事件では犯人を3人殺害するも人質5人が犠牲になっている。極めつけは1985年に中東のレバノンでソ連の外交官4人を含む外国人がヒズボラ関連組織のイスラム解放団に誘拐された事件だ。アルファ部隊はベイルートに派遣され、人質解放にあたった。しかし、そのやり方が残忍だった。まず隊員たちは誘拐犯の親族を誘拐し、彼らの指や耳を切り落とし犯人や家族のもとに送った。更にイスラム教シーア派の12人を誘拐し、内一人はヒズボラの指導者の親戚だった。誘拐した一人の頭を撃ち、陰部を切断し、それを口に詰め「ソ連の人質を解放しなければ他の11人も同様に殺す」という手紙を添えてヒズボラに遺体を送った。そして、ソ連の外交官たちは数週間後に解放された。他の米国人などの人質は解放までに数カ月、数年を要しており、それが如何に早かったか。アルファ部隊のやり方には賛否あったが、結果的に早期の解放に成功したこともあり、当時は合理的と理解を示す者もいた。