
米軍は西太平洋の北マリアナ諸島の一つであるテニアン島の飛行場の再建を進めている。テニアン飛行場は第二次大戦時、広島、長崎に原爆を投下したB-29爆撃機が発進した場所として知られている。
軍事メディア「WAR ZONE」によれば、米空軍がテニアン島の飛行場の再整備を着々と進めていると報じた。米空軍は、中国との対立が深まる中、有事が発生した場合に基地の選択肢を広げるため、日本に原爆を投下した太平洋の北マリアナ諸島テニアン島にあった飛行場を再び運用する計画を2023年12月に発表した。その後、飛行場の再建工事のため、2024年4月、テキサス州アービングに本拠を置く建設会社フロウアーと約4億900万ドルの契約を締結。契約では5年以内に全ての工事を完了する事になっている。既に滑走路の一部は再建されており、民間のテニアン国際空港の一部も使いながら、空軍や海兵隊の機体が演習を行っているのが確認されている。
テニアン島とは
テニアン島は、アメリカ合衆国領の北マリアナ諸島を構成する14の島のうちの1つ。サイパン島も北マリアナ諸島に含まれる。マリアナ諸島というと大きな括りにすればグアム島も含まれるが、グアムと北マリアナ諸島は別の行政区分になる。
テニアン島は太平洋戦争で日米双方において重要な戦略拠点であった。同島は1920年に日本統治下になり、1938年には島北部に南洋諸島では一番大きな飛行場が建設され、太平洋戦時、陸海軍合わせて約8,500人の兵が駐屯していた。しかし、1944年8月に米軍によって占領されると、テニアン飛行場は米陸軍航空隊のB-29爆撃機の出撃拠点になる。基地は米軍によって改築され、2400mの長さの4つの滑走路と2,600mの誘導路、500機以上のB-29爆撃機を収容できる設備、および基地に駐留する約40,000人の人員を支援するための施設があり、総面積は1,85平方キロメートルに達した。1945年当時では軍用飛行場ながら世界最大かつ最も利用者数の多い飛行場となった。
大戦中は最大265機のB-29爆撃機が配備され、約2500km離れた日本本土を爆撃するため、連日、B-29が出撃していった。そして、8月6日に広島に原爆を投下したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」、8月9日に長崎に原爆を投下した「ボックスカー」がこのテニアン飛行場から出撃している。しかし、戦後はこの飛行場の需要は薄れ、1947年、米軍はテニアン飛行場を放棄。その後、半世紀以上に渡り、放棄されたままに朽ち果ててていった。
しかし、2000年代初めには訓練のために一部で初期修復作業を実施。そして、中国の海洋進出、台湾有事の危機が高まる中、米空軍はテニアン飛行場の戦略的重要性に気づくことに。西太平洋における米空軍の拠点は複数の滑走路を備えたアンダーセン空軍基地があるグアム島だ。しかし、グアム島は中国本土から3000km、北朝鮮からは3500kmになり、両国が持つ中距離弾道ミサイルの射程内になり、両国は何度かグアムを弾道ミサイルで攻撃する脅しをかけており、先制攻撃を受ければ同島の飛行場は使用不可能になる恐れがある。そのバックアップとなるのがテニアン飛行場だ。グアムからは200kmほどしか離れていないので、グアム同様、ミサイルの射程内ではあるが、戦力を分散させる事ができ、リスクと被害を軽減できる。空軍は「アジャイル戦闘運用」と呼ぶ、一定地域で米軍を小規模なグループに分割する取り組みを行っている。小規模なグループを増やすことで、米軍陣地を完全に破壊することが難しくなるというのがその主張だ。台湾海峡、中国が進出する南シナ海、東シナ海からは2500km以上離れているので戦闘機の出撃拠点にはならないが、B-29の拠点だったようにB-52、B-1、B-2、B-21といった戦略爆撃機の拠点にはなりうるし、有事の際は日本に駐留する米軍機の退避場所にはなる。
空軍参謀総長デビー・W・オルビン将軍は「テニアン島の空軍基地は高い抑止力と柔軟性を備えており、必要に応じて機敏な戦闘部隊を展開する能力を拡大するだろう。ここは太平洋地域における米軍駐留にとって極めて重要な先駆的拠点だ」と声明で述べている。
第二次大戦時に日米にとって重要拠点になったテニアン島は現代でも、重要な役割を果たすことになってしまうのだろうか。